地球を「惑星」として理解する


理学部 田 近 英 一

 進路選択は、駒場生にとって最大の懸案事項だろう。どこの学科を卒業したかなどその後の人生にはまったく関係なかったという人々は大勢いるが、学科の選択がその後の人生を決めたという人々がいるのも、また事実である。進路選択にあたって、何を拠り所にしたらよいのだろうか。

 「学びたい学問分野が決まっている」とか「将来就きたい職業があって、その基礎を学ぶべき学科が決まっている」というのは理想的だろう。それは一時的な思い込みに過ぎないかも知れないが、とりあえず悩まなくてよいという点において、恵まれているともいえる。だが、そんな簡単に進路を決められれば世話がない。

 一方で、自分の成績で進学可能な最難関学科を選ぶ、という話をしばしば耳にするが、それはあんまりではないかと思う。自分の進路についてもう少し真剣に悩むべきだ。

 とはいえ、実は意外と多いのではないかと思われるのが、「その場の成り行き」で学科を選択したというものだ。もちろん、ケースバイケースではあるが、私はそれも一概に悪いことではないと思っている。

 私も進路選択には悩んだ。理由は多くの駒場生と同じ、つまり、学びたい学問分野がなかったのではなく、むしろたくさんありすぎたのだ。しかし、いろいろ悩むうちに、自分にはひとつだけ特別な分野があることを思い出した。それは、「天文学」だ。

 私はいわゆる天文少年だった。小学校2年生のとき,父親から天文学の本をはじめて買ってもらって以来,星の世界に夢中になった。小学校、中学校、そして高校生活の半ばまで、ほとんど毎晩のように星を眺めていた。もちろん、星に関する知識も相当なものだった。

 その事実を思い出してからというもの、自分には理学部の天文学科への進学しかあり得ないように思われた。ところが、ふとしたことから予想外の展開となる。

 駒場で同じクラスだった友人が、自分も天文学科に興味があるのだが、ガイダンスに出られなかったので学科紹介パンフレットを貸してくれないか、というのである。学科紹介パンフレットといっても、いまと違って、学部生の手作りの非公式パンフレットだ(その方が「有益」な情報がいろいろあって、むしろよい面もあった)。その友人は、同じ理学部の地球物理学科のガイダンスに出たので、そのパンフレットを代わりに貸してくれると言った。

 私は、世の中の天文ファンの多くがそうであるように、「地球」には全く関心がなかった。しかし、せっかくなのでそのパンフレットを借りてパラパラ眺めてみた。そして、驚くべき記述を発見した。「太陽系や惑星の研究は、地球物理学の守備範囲」だというのである。

 もちろん、星と惑星の違いは小学生の頃から知っていたが、その間に線を引くということは考えたこともなかった。

 しかし、ちょっと考えてみれば当たり前だが、地球は惑星のひとつであり、太陽系には金星や火星のように地球とよく似た惑星が存在する。そして、地球は太陽系の形成とともに誕生した。つまり、地球を研究する手法や概念は、そのまま惑星の研究に適用・拡張できるはずなのだ。

 そう考えてみると、納得がいくばかりでなく、何だか「遠くの星より近くの惑星」だと思われてきた。そういえば、星空の中でひときわ明るく輝いている惑星をいつも眺めていたことが思い出された。惑星がとても身近に感じられるようになってきたのだ。そして、何を間違ったか、天文学科ではなく、地球物理学科に進学することになった。

 これはまさに「その場の成り行き」としか言いようがなかった。

 地球物理学科では、もちろん地球に関していろいろ勉強した。しかし、4年生の演習(卒業研究のようなもの)では、迷わず惑星に関する研究を行った。それは実に面白く、大学院へ進学してさらに惑星科学の研究を続けたいと考えた。

 ところが、大学院進学後に転機がまた訪れた。指導教官から、学位論文のテーマとして「地球大気の進化」はどうかと言われたのだ。

 地球形成直後の大気は、金星のように二酸化炭素を主体とする数十気圧にも及ぶ大気だったと考えられ、それがいかにして現在の大気へと進化してきたのかを「比較惑星学」的な視点から研究してはどうかというのだ。二酸化炭素は温室効果気体だから、その変遷は地球環境の変遷とも密接に関係している。それはまた、生命の進化や地球環境の安定性の問題とも深く関係していた。

 それ以前であれば、地球の研究をするなんて思いもよらないことであったが、その時は、不思議と「地球の研究をやってみるのも悪くない」と思えるようになっていた。というのは、「地球のことも分からないのに,いったいどうして他の惑星のことが分かるのか」という思いが強くなっていたからである。これは、実際に惑星科学の研究にふれたことによって得られた認識だった。それはいまでも私の信念となっている。そんなわけで、大学院では、結局、地球大気の進化に関する理論的研究を行うことになった。

 学位取得後、理学部の地学科(大学院の地質学専攻)にポストを得ることができた。これは当時としては大変異例なことだった。地質学は地球を対象とした学問分野ではあるが、地球物理学とは手法も考え方も大きく異なるからだ。地球物理学は、物理学の手法や考え方を基礎に地球を研究する学問である。それに対し、地質学は過去の地球環境変動が記録された地層を詳しく観察したり岩石試料を分析したりすることによって、過去に何が生じたのかを実証的に研究する学問である。両者は、異なる歴史的背景を持つ、似て非なる分野なのだ。

 私はそれまで計算機を使った研究をしてきたのだが、それはいってみればバーチャルな世界だった。リアルな世界を知らずにバーチャルな世界に閉じこもっていることには、多少なりとも後ろめたさを感じていた。そこで、これはよいチャンスだと受け止め、私もフィールドに出かけて、リアルな世界とバーチャルな世界をつなぐような研究ができないか考えるようになった。

 天上の世界(=星)の研究がしたかったのに、いつの間にか地下の世界(=地層)の研究をするようになったというわけである。

 その後、専攻や学科の改組があり、現在では理学部の地球惑星環境学科(大学院は地球惑星科学専攻)において、惑星としての地球について研究教育を行っている。地球の理解に基づいて惑星を理解するということに加え、惑星としての地球という視点が地球の理解には不可欠である、というのが私のスタンスだ。

 ところで、太陽以外の星のまわりにすでに約300個もの惑星が発見されていることをご存じだろうか。まだ木星のような巨大惑星が多いが、第二の地球が見つかるのは時間の問題とされている。最近の天文学における最重要研究課題のひとつだ。

 私は、最近、太陽以外の星のまわりで生命が存在可能な環境を持つ惑星の条件について考えている。このような問題には、地球に関するこれまでの研究がとても役に立つのだ。人生どんな展開があるのか分からないところが面白い。

 というわけで、最後に進路選択にあたっての私見を述べたい。

 ひとつは、「世の中には面白い学問分野がたくさんある」ということ。どの分野も、その専門家はすごく面白いと思って研究している。だから、どの分野を選んでも、そこそこ面白いことは間違いない。そう考えれば、あまり深刻になりすぎる必要もない。

 もうひとつは、「人生は選択の連続である」ということ。進学振り分けもそのひとつに過ぎない。選択次第では、どうにでも方向は変わり得るし、選択によって考え方が変わる場合も多い。これから何度もあるだろう選択のチャンスを、その都度活かしてほしい。

 いずれにせよ、後から振り返った際に「あのときの選択は正しかった」と思えるようになりたいものである。そのためには、学科を自ら選択した責任を自覚し、一生懸命勉強することが大事だ。一生懸命やれば何でもうまくいくほど人生甘くはないが、少なくとも努力しなければ選択の正否を判断するに値しない。選択の正否は、実のところ、選択後の努力によって決まるところが大きいように思われる。

 非常に月並みではあるが、後悔したくなければ精一杯努力すること、それが人生を肯定的に捉えるための唯一の道ではないだろうか。